メンバー詳細

2026年度 理事長所信

 



一般社団法人豊橋青年会議所2026年度第75代理事長
平野達也

希望

~行動は言葉よりも雄弁に語る~
 

【はじめに】

戦後、未だ焼け野原が広がる中、「日本の再建と復興は、多分に青年の積極的意慾と情熱とに左右される事は、真に当然な事である。」この趣旨を礎に豊橋青年会議所は5人の発起人をきっかけに1951年06月01日に誕生した。それは朝鮮動乱の活況の追い風の中、まだ見ぬ高度経済成長へ向け、青い天の一朶の白い雲を目指すように、青年達の足取りはしっかりと着実なものであったに違いない。
その後、高度経済成長、オイルショック、バブル景気、いざなぎ越え、を経験し上り坂を歩んできたものの、失われた30年、史上最大級の天災、世界的パンデミックの克服、と未だ不安定な国内情勢が続いている。世界に目を向ければ、地球上のどこかで戦争が繰り返され、市民、兵士が傷を負っている。経済と政治は複雑に絡み合い、ナショナリズムやポピュリズムに迎合せざるを得ない陥穽に陥っている。戦後のアメリカ主導型の国際体制から福祉国家を経て、新自由主義の台頭と金融資本主義により、経済という大きな波が様々なものを飲み込み資本主義がリバイアサン化していると言える。
視点を変えて言おう。「神は死んだ。」ニーチェのこの有名な言葉は近代幕開けの象徴として引用される。しかし、近代は本当に神を殺したのか。近代社会、またその次の現代社会では大量生産大量消費、一億総中流、義務教育の普及、日本列島改造論による全国の画一的インフラ整備を実現し、一義に「ゆたかさ」を実現してくれた。しかし、現在の社会ではその次の段階に進んでおり、格差による社会の不安定化、人口減少に起因する地方経済の衰退、個々人の生き方の多様化、など過去を振り返っても答えのない時代に突入している。ときには前近代や近代が亡霊のように因習として影を落としている領域もあるかもしれない。我々青年経済人が未来を創り、生きていく身として、毅然とそこに立ち向かわなければいけない。対象は目まぐるしく変容していく地域社会だ。75年前に創始の精神を熱く掲げ、2026年度までつなげてくれたすべての先輩諸兄と同じように。

 

【豊橋という特異な地域社会と豊橋青年会議所の役割】

まず地域とは器である。食事、睡眠、交友、経済活動など人間が生きていく営みをする基本となる領域が地域である。維持可能な社会を目指さなければならないのも、この器が壊れてしまったら人間の営みが継続できなくなってしまうから地域社会を守らなければならない。豊橋という地域は、大都市には見劣りをするが、職住一致が実現でき、生活圏、文化圏、経済圏が自立しており、さらに自然が豊かで子育てには評価が高い地域である。その証左として、農業、工業、商業と産業別のバランスが良いことをしばしば指摘される。名古屋の衛星都市と比較した場合に、零細企業、中小企業、上場企業がステークホルダーとして機能しており、リーマンショック、コロナ禍などの逆境を迎えた際にしっかりと苦難に向き合い、暗闇の中でも一縷の光を見つけ逆境を乗り越える自力を備えている。地域経済としても強固な地盤があると評価できる。
では何がこの地域の課題なのか。それは外部から何かを引きつける引力である。もう少し簡単に言えば受け入れる力である。有名飲食チェーン然り、農業、製造業など外へ出ていく力は十分にある。それらに引きつけられビジネスで訪れる人口は相対的に多いと言えるが、それは仕事上の一過性の滞在で終わってしまう。決して外需に依存するといわけではない。外需がうらやむ地域になり、外から人や資本が集まる地域を目指さなければならない。郷土愛も強く、U・Iターン者がまだ一定数いる現時点だからこそ、この視点に重きを置くべきだ。引きつける力こそがこの器を次代の器へと変容させる鍵だと言えよう。
そこで青年経済人を中心として組織される豊橋青年会議所の出番である。現在の豊橋青年会議所には多種多様な職種はもちろんのこと、二世、三世ではないメンバーが多く入会している。この状況は村社会的な「安心」社会ではなく、「信頼」関係で成り立っている。ここにこそ、外から受け入れる力の源流があると確信している。この受け入れる力こそ、多様なメンバーが多様な目的で集まった市民団体だからこそ、我々にしかできないことがあり、次代の地域を創っていけるのである。
【次代を見据えたまちづくり】

豊橋青年会議所は創立75周年を迎える。節目々々で、長期ビジョン、中期ビジョンを策定し、大きな潮流に乗りながらも三四半世紀にわたり地域社会に不断のアプローチを行い、リーダーを創出した歴史と矜持がある。これはただ流れに身を任せて辿りついたわけではない。各年度の操舵者が流れを読みながら、必死でたどり着いた歴史である。そこに敬意を表することは自明であると同時に、激流とかした次の舵取りが難しい現在だからこそ、この歴史を紡いだ方々と来た道を眺め、その眺望を共有しなければならない。豊橋青年会議所という団体を現代的解釈のもと位置づけをし、歴史という軌跡を踏まえたうえで、今後向かうべき方向を指し示さなければならない。この仕事は哲学的な要素が包含されざる負えないが、節目だからこそ、そこに挑戦する必要がある。さらに活動のフィールドである地域社会へ還元しなければいけない。この機を逃してはならない。ここまで牽引してくれた先輩諸兄だけではなく、地域社会との連帯を生む組織こそが我々の存在意義だと強く銘打てる絶好の好機である。「畏敬」、「感謝」、「発信」がここでのキーワードとなる。
【連携から連帯社会を目指して】

本年度は第59回愛知ブロック大会豊橋大会を主管する。愛知ブロック協議会はもとより、他32LOMの会員に豊橋の魅力を発信する、またとない機会である。愛知県の東側で自立的な文化経済圏を形成してきたこの地域には、県民が知らない魅力的な地域資源や文化がたくさんある。もちろん、それは外に目が行きがちな地域市民に対しても有益な情報である。その二局面に緊張感を持ちながら、この地域の潜在的な魅力を活用し、外を惹きつける大きな引力としなければならない。もちろん、そこに至るまでに青年会議所関係者はもちろんのこと、産官学の多方面の人々と連携していかなければならない。その連携の先に、大きな引力を生むことを期待する。また同時に、地域のブランディング、豊橋青年会議所のブランディングのために発信をしていかなければならない。かつては情報リテラシーという言葉が流行したように、受け手の情報収集能力に注目が集まっていた。しかし、近年では、個人で簡単に情報を発信できるようになり、発信する内容で競争が激化している。つまり、いかに届けるか、が重要である。それは豊橋の魅力を発信することと同義であり、愛知ブロック大会という最大のコンテンツと同時に行うことにより訴求効果は倍増する。我々が仕事や日常生活など営為する地域だからこそ、我々しか発信できないものがある。そして、その発信が新たな魅力として他地域の人々を引きつけ、新たなニーズを発掘することが可能となる。青年会議所の根幹である委員会運営。役を演じることが重要とも言われるが、素直に向き合い、実行することが求められる。各役職の役割の認識と実行、報告連絡相談、当たり前のことを当たり前にやることが大切である。一番難しいかもしれないが、一番シンプルで分かりやすい行動目標である。だれかがやってくれるだろうではなく、自分がやろう。密なコミュニケーションと連携でお互いを知り、相手の立場を考慮した行動をとろう。委員会運営が組織づくりのベースであり、リーダーシップが開発される最も身近なコミュニティとなる。委員会活動から生まれる心震わす感動を全員で堪能し、心深く想いを刻むことで、豊かな青年会議所活動の一助となる。心が動けば、意識、行動が変わる。今こそ若きチカラを結集し、最高のパフォーマンスをまちに届けよう。熱き同志の交流からなる深い信頼関係を発端に、より大きな、より効果的な運動を起こし、まちへ寄与する組織となること確信している。
【生産活動の主体として目指すべきつながり】

経済活動は利益追求だけの行為ではなく、生産活動を通した人のつながりであり、社会の生産活動へ参加する行為である。人と人のつながりという経済活動の基本に立ち返りながらも、地域経済を担う我々だからこその視点が重要である。地方経済には少子高齢化や労働力不足、事業継承、インフラの老朽化など多くの問題がのしかかっている。そのような大きな問題に対し、IoT やビッグデータ、AI 技術の活用や金融リテラシーの醸成は地方経済にこそ求められている。それらを活用し、業務の効率化、収益の安定化などの視座が必要である。しかし、このような一般論に一経済主体として具体的な問題と対峙したとき、具体的に何から手をつけて良いのかがわからないと困惑するケースが多いのではないか。業界、会社規模、顧客、歴史が違えばそれぞれの悩みも十人十色である。答えがある時代ではない。だからこそ、事業主と事業主をつなぎながら、それぞれの問題や課題を分かち合い、助言し合える経済活動こそが、合理的結果につながるという視点が必要である。これはブロック経済のような排他的な経済圏を模索するのではない。ローカルにいながらもグローバルにつながれる時代だからこそ、または法人を通さずともグローバルにつながれる時代だからこそ、機動力を活用しながら具体的有用な経済を意識し、地域経済を見直そうというものである。これこそが東三河や三遠南信という経済圏は維持可能なものとして生き残る戦略だと確信する。
【教育の受け皿としての地域社会】

フランスの詩人フランシス・ポンジュは言った。「人間は人間の未来である。」子供とは未来を創る担い手である。まさに希望である。近代教育のもと、教育機会を均等にしていけば、貧富の差が少しずつ解消されて公平な社会になると期待された。戦後一律の学校制度が施行され、教育の機会均等、識字率の上昇は実現された。その背景には、子供たちを分け隔てることなく平等に知識を培う理想と同時にメリトクラシー(能力主義)が歓迎された。その結果、家庭環境などの外部要因は加味されず、アファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)には能力の差を適用しない教育環境ができている。それは、学校側と家庭側の対立関係を見れば理解しやすいと思う。能力至上主義からくる受験戦争の激化、所得水準による教育格差などの状況に対して、我々はより子供の生き方に寄り添わないといけない。問題は、機会均等と能力主義によって与えられた評価が、大人になり社会に出たときにこそ、「自己責任」として個人に内在化されてしまうということである。例えば、学業において途中で脱落してしまった子供が大人になり、社会で自分の置かれた状況に対して、勉強をしてこなかった自分が悪いと納得してしまうということのだ。自己肯定感という言葉が流行る世の中がそれを象徴している。だからこそ、得意不得意を個性と言えるような経験が必要であり、それは限定的なコミュニティの学校だけでは決して実現できない。学校では経験できない例外的な子供同士の触れ合い、さらに例外的な経験をする必要がある。その経験こそが社会に出てからの生きていく力、つまりどのような状況に置かれても環境や所与の状況を克服し、自分らしく生きられる力になるのである。
【組織の未来を担う仲間の獲得】

人生は選択の連続である。その選択は本当にしたいことなのか。それともしなくてはいけないと思い込んでいることか。どちらか一方のみを選択して生きていくことは無理である。行動した人のみが青年会議所の魅力が分かるのだと思う。今日の選択が、1 年後のあなたを、10 年後のあなたの生き方を変える力がある。我々が考える運動を発信し、地域社会へ貢献していくためにはともに活動する仲間が大切になってくる。我々は利害関係のないメンバーで構成され、活動を通じて、かけがえのない自己成長や人と人とのつながりを醸成している。仲間を信頼し活動する連帯的組織の中で自己成長していく仲間は、次代のリーダーとして活躍していく。組織側から見れば、新たな仲間を増やすことは、多様性を膨らます機会であると同時に、青年会議所活動という共通項で人をつなぐ仕組みづくりに欠かせない要素である。組織の未来のために新たな仲間を増やし、その仲間の未来を肯定的なものとするために、この青年会議所活動の輪を拡げなければならない。その輪の拡がりこそが、青年会議所の価値を新たに作りだし、地域における存在意義を与えると同時に、この組織が活気あふれ活動できる源だと確信している。
【メンバーが生き生きと活動できる組織をめざして】

豊橋青年会議所の正義とは何か。会員の自由や個人の意志か、組織としての規律か。この二元論でしばしば議論されるのだが、利害関係のない会員で組織される団体だからこそ、公平という考え方が重要ではないか。組織である以上、組織然とする規律や組織の利益は重要である。しかし、それを絶対的なものにしてしまえば、多様な会員で構成される組織は機能不全に陥ってしまう。一方で、個人の自由のみを最優先にしてしまうと個々人の合理性のみがぶつかり合い、バラバラな団体になってしまう。2026 年度は他協議会との連携も重要になる。だからこそ、第三の道を模索していかなければならない。それこそが、信頼関係により成り立つ人間関係であり、社会関係資本が醸成される器としてこの組織を捉え、どうすればその関係が醸成されるか、を第一に考えて運営していく必要がある。つまり、規律を立案し合意形成をとり、それを施行する際には平等ではなく公平という視点で会員に寄り添う運営が重要である。情緒的紐帯を信じ、対話を繰り返し丁寧な組織運営に挑戦していくことが求められる。また法人格の変更にともない行政の監査はなくなったものの、我々は自分たちの年会費を主な財源でとして運営しているため、引き続き透明性のある組織運営を目指さなければならない。
また、リーダーシップの開発と同時に、組織を情緒的紐帯で結びつける仕組みが必要不可欠である。これこそが青年会議所活動の大きな特徴であり、それを実践する場を設ける必要がある。青年会議所に入会すると、同期という不思議なつながりを得る。それはただ与えられたものだった脆弱なつながりであったはずなのに、活動を通じて共助していくパートナーのつながりへと変化していく。その関係こそが青年会議所内の正義に実を持たせ、青年会議所が青年会議所として存在する重要な要素である。逆にいえば、その経験に手をかけられない会員は青年会議所活動を行っていくうえでその正義に気づくのに別途特異な経験をするか、特異な人と出会うかという奇跡的なタイミングを待たざるを得なくなってしまう。それを避けるために入会というスタートラインが同じタイミングでこそ、その経験を提供する義務が我々にはあるのだ。

 

【おわりに(結びに)】

社会的分断の中にみる希望の構想~連帯社会を目指して~
トランプ大統領誕生、イギリスのEU 離脱などが象徴するように、未だ人類が直面したことのない社会的分断という大きな危機に直面している。それは経済問題と人口問題に起因する。資本主義経済において格差は必ず発生する。貧富の差という社会の全般的窮乏化自体に問題があるのではなく、世界の冨を一部の人間が保有するような格差の拡大に注意を払わなければならない。また、先進資本主義の宿命なのだが、人口減少や人口移動としての人口問題が大きな問題として立ちはだかっている。さらにそれらと相まって現代的分断は意見の対立として主観的な次元で現われてくる。格差の拡大として現れる客観的次元での差異化と、人々の多様な意見を二つ(もしくは少数)のグループに集約していく主観的次元での同質化、という対照的な力が働くことによって引き起こされる。
思想やイデオロギーの力が衰退した今日では特殊性や個別性を社会の阻害要因としてみなすのではなく、逆にそれらを積極的に活かしながら人々を結節していくような「連帯」が求められている。豊橋でも2025 年7 月に住民投票が行われた。その内容や評価は政治的かつ時間的制約がゆえに現時点ではし難いと言えるが、住民投票を行ったことにより社会的分断を少なからず引き起こしたことは事実である。だからこそ、多様な会員で構成されている連帯的組織である我々が行動しなければならない。思想やイデオロギーではなく、地域の器を創る団体として率先して行動をし、階層・世代・民族・ジェンダーを越えられる団体に所属している我々こそが連帯社会を目指していかなければならない。

人間は自分の意志とは無関係に、この世に「生」を受ける。人間は自分の「生」を受ける時代を選択することはできない。それがゆえに、与えられた時代、場所、環境の中で「生」を全うしなければならない。ヴィクトール・フランクルは人間を「ホモ・パティエンス(苦悩に耐える人)」と定義し、苦悩を経験することで、人はより深く生きる意味を見出せると説いた。
「希望」という言葉は、“のぞむ”という字が二つ連なっている言葉である。「のぞみをのぞむ」のである。この言葉には現実離れした蜃気楼のような軽薄で嘘くささや、大げさな感じを孕んでいる。だがしかし、目標を定め、地に足をつけ、着実に進むことによってそれは急に現実味を帯びる、力のある言葉でもある。ときに悩み、苦悩し、それを乗り越えるために行動を起こす。これこそが青年としての我々の使命である。